第1話 破滅の声
「…天気もいいし……平和だな……」
小柄なヴィエラは小屋で薬品を調合しながら呟く。 彼女の名はティグリ・エルト。ゴルモア大森林のヴィエラ族の隠れ里、エルトの里で生まれ育ってきた長身細身の女性。 彼女は培ってきた調剤知識を活かし里の薬売りとして生計を立てている。彼女が作っている薬は失われたエリクサーの製法を簡単に入手できる材料で簡易的に作成する効果の薄い擬似エリクサー。すり鉢の中にエーテル水を慎重に注ぎ薬草や果実と一緒にすり潰し、薬液を丁寧にろ過していく。火の魔石を使用した簡素なコンロに火を灯すとその薬液をコンロの鍋に移し、沸騰しないよう注意を払って馴染ませる。 調剤の仕事は里の中でもできる者は少ない上、人気のある職でもない。それでも彼女がこの仕事をしているのには訳があった。 1つは単純に才があったため、そしてもう1つは彼女の性格に理由がある。
「ティグリさん!入れ物、こっちに置いておくわね!」
荷運びに来たヴィエラは大きな声で呼びかけ、大量のガラス瓶の入った箱を机の上に置いた。カランという涼しげな音がひびき木漏れ日がガラスに反射する。
「あ……ありがとう……ございます……」
「いつもそんな感じだよね、ティグリさんって!じゃまた完成する頃に回収に来ますから!」
荷運びのヴィエラは大きな鞄を背負うと軽やかな足取りで小屋を立ち去る。
「…ふぅ……慣れないけど…少しはマシだよね…」
ティグリは内気な性格で、人と話すことに軽い恐怖を感じる。そのため人との関わりが荷運びのヴィエラや行商のモーグリくらいで済むこの仕事はまさに天職と言えた。 仕事の続きをしようと運ばれたガラス瓶に手を伸ばす。
「…あれ、瓶しかない……いつも仕上げの材料まで入ってるのに…」
作成した擬似エリクサー薬液は最後に幻妖の森近辺に生息するモンスターから手に入れることの出来る高級魔石、リーブラから魔力を充填することで完成する。それがないということは当然仕事を完遂することも出来ない。
「…仕方ないよね……」
そう呟くとティグリは小屋を出て、里の入口付近に歩みを進める。森の一際大きい神木を中心に足場を組まれ、そこから複数の大樹に繋がるよう複雑に入り組んだ道は不思議と陽の光が当たり心地よい空気を生み出している。道を歩けば当然里に住む他のヴィエラとすれ違う。泉の湧く広場で思索にふける同族を彼女は気にもせず、行商の居る里の入口の商業区へ急いだ。
「クポポ?ティグリちゃんが来るなんて珍しいクポ〜!お薬の品卸じゃあなさそうだし、何かあったクポ?」
露店の中から顔馴染みの青いぽんぽんを付けたモーグリが不思議そうに声をかける。彼はテトランという行商人であり、里の外へのコネクションを持つ数少ない人物である。
「テトランさん…魔石って入ってきてる…?採れてないのか今日は届いてこなくて…」
「クポ!ティグリちゃんの担当ってことは必要なのはリーブラの魔石クポ?それならいくらか仕入れがあるクポ!」
そう言うとテトランと呼ばれたモーグリは露天の机の下をがさごそと探し、やがていくつかの石をティグリに差し出す。
「持ってくクポ!いつもお安ーく貴重なお薬を分けてもらってるからこのくらいはサービスするクポ!」
「ほんと…?ありがとうテトランさん…またお薬持ってくるから…」
そう告げるとティグリは袋に魔石を詰め、帰り支度をする。
「そういえばお姉さんはどうしてるクポ?」
「今日はお姉ちゃんまだ戻ってない…たぶんまたお仕事のついでにおゆはん取ってきてる…」
「若いのにがんばってるクポ〜…モグが来たばっかりの時はもぐよりちょっとおっきな赤ん坊だったのにクポ〜…でも困ったクポ、この間仕入れの帰りにクァールの群れに襲われたところを助けてもらったからお礼がしたいクポ…」
それを聞いたティグリは少し考え込んでこう答えた。
「それなら…森の声を聞くよ…きっと精霊さんなら…知ってるから…」
ティグリは精神を集中させて森を司る精霊の声を聞くために森の神木との交感を試みる。風がティグリの周りを纏わりつき、長い髪の毛を浮かび上がらせる。 しかしその風は突如暴風に変わりティグリを吹き飛ばす。
「だ、大丈夫クポ?」
ティグリは立ち上がり、服の土埃をはたきおとすとテトランに震える声でこう告げた。
「大丈夫…それよりテトランさん…もう少し魔石量が必要そうだから…森の外から用意できないかな…?」
「おまかせクポ!少し時間がかかるけどバッチリ集めるクポ!」
それを聞くとほっとしたような表情でティグリは帰路につく。帰り道、ティグリは歩きながら森の声の内容を思い返していた。
「これなら万一があっても…テトランさんたちは無事…でもそんなはず…ないよね…」
そう言い聞かせるように呟いた後、仕事に戻る。 だが森は確かに警笛を鳴らしていた。 "遠くない未来、この里は地図から消え去ってしまう"と。
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