「ねえ!リモーネ!お仕事しましょう!」
その一言で全てが始まった。
ヴェルデ・ディ・プリマヴェーラ17歳。中流貴族プリマヴェーラ家の跡継ぎ娘。
彼女には家業を継ぐことが決まっていたが両立させることを決め、アークスの適合試験に志願、その能力から船団側からスカウトが来たのである。
「お姉ちゃんってばいっつも急だよねぇ…いや今回はさ、ちゃんと話も聞いてたし、お父様やお母様も了承してくださったからあたしからは何もないよ、でもアークスだよ?お姉ちゃん戦うんだよ?戦えるの?」
そう彼女に訊ねる少女は彼女の妹、リモーネ・ディ・プリマヴェーラ14歳。コロニー内の学園に通うごく普通の学生である。
「私もただの気まぐれでこんなこと言ってるわけじゃないよ、それに私がそれなりに強いって、リモーネ自身が一番知ってると思うけどなぁ…」
「…意地悪…。」
「一度も勝ったことないもんね、私には。」
それでも心配なことに変わりはない。だがこのまま姉を危険に進ませるわけにもいかない。気が付いたら名乗り出てしまった。
「だったらお姉ちゃん、私もついてく。同時期には無理だと思うけど、あと一年、一年したらわたしもお姉ちゃんと一緒に行くよ。」
それを聞いたヴェルデは思わず目を丸くした。自分の後ろをついて歩くだけだった妹が成長していると感じられたのだ。
「…嬉しいよ」
少し照れくさそうな顔でヴェルデはつぶやいた。ひとりぼっちがかなしいから、ただそれだけの理由だとしても、ヴェルデは心から喜び新たな生活に心躍らせるのであった。
「…まあおうちには自家用転送装置で簡単に帰ってこれるから生活はあんまり変わらないけどね…休みも多いみたいだし…」
「それでも一緒にいられる時間が少なくなるのは変わらないでしょ!お姉ちゃん次の日曜暇だよね、お出かけに付き合ってよ!あたしこないだできたショッピングセンターに行きたいな!」
変わらぬ笑顔でリモーネは無邪気に誘う。
「…先週も行ったのに?」
「先週は一人だったからつまんなかったもん…」
「それで満足するならついていくよ、私もちょうどその週からお仕事だしちょうどいい買い出しの時間にできるよ。」
そして当日、目的地に着いた二人はそれぞれの行きたい店や寄りたい場所に回っていく。歩いて見たい場所を見て、欲しいものを買って、遊び疲れてどっちが先に言い出したか、もう帰ろうといった時にはもう夕方だった。
「ねえ、お姉ちゃん」
突然リモーネは暗い表情で問いかける。
「お姉ちゃんはさ、アークスに行ってもまたお休みの日にはこうやって一緒に遊んでくれる?二人っきりじゃなくてもいい、シトラスちゃんとか、あたしやお姉ちゃんが向こうでできる友達と一緒でもいいの、だから」
「何言ってるのよ」
話し続けるリモーネの言葉を遮って話し始める。
「言ってくれればいくらでも行くよ、一番大事な妹の頼みだし一番一緒にいて楽しい妹とのお出かけだもの」
そこまで言うとリモーネから先ほどまでの暗い表情は消えていた。そして今度は明るい表情で話し始める。
「うん!そう言ってくれるならあたし、大丈夫!」
そういうと迎えの来る駐車場まで走り出す。
微笑ましい。楽しそう。そんな感情が頭の中を埋めていく。
その時、かすかだがはっきりと大きなエンジン音が聞こえてくる。なにげなしにその方向に目をやると1台の物資輸送車が暴走し、こちらに走ってくることが分かる。その進路上には無邪気に走っていくリモーネの姿があった。
「リモーネッ!!」
そう叫んだ時にはすでに足が動いていた、自覚がなくても薄々間に合わないと悟ったのだろう。
このままでは死ぬ。最愛の妹が目の前で命を散らす。そんな無念が彼女の脳内を駆け巡る。
「お姉ちゃ…」
リモーネが気づいたときにはすでに自分の眼前には身の丈よりはるかに大きい金属の塊が近づいてきていた。衝突まではもう猶予はない。回避なんてできない、足が動かない、
このままでは死ぬ。最愛の姉を残して一人、命を散らす。そんな無念が彼女の脳内を駆け巡る。
そのとき、横から不意に車両とは違う衝撃が走る。車の軌道から外れていく。奇跡がおこった。奇跡的に助かったとこの時までは思っていた。「よかった…間に合った…」という聞きなれた声が衝撃の後に聞こえてくるまでは。
車が通り過ぎた後、視界の端に見慣れた緑髪が映るまでは。
そしてその後、道路に残るおびただしい量の血の跡と自分とは離れた位置に意識を失い倒れた姉がいることを理解してしまうまでは。
「…嘘……やだ…やだよ……」
リモーネはそうつぶやき、弱弱しく立ち上がると涙をぬぐいながらふらついた足取りで姉のもとへ駆け寄った。
「お姉ちゃん…!どうして…どうしてあたしを…」
悲痛な叫びは既に意識を失ったヴェルデには届いていなかった。幸いにも事故を目撃した別の人間が救急隊を呼んでいたため、救急隊の車両はすぐに到着した。2人は車両に乗せられ、病院へと急ぐ。移動中リモーネは力なく投げ出されたヴェルデの手をずっと握り続けていた。まるで自分の温もりを、生きる力を分け与えるかのように……
病院にはすぐに到着し、緊急の治療を施されることとなった。
その姿を扉越しに泣き出しそうな目で見つめるリモーネの元にヴェルデ以外のまともな同世代の友人であり、プリマヴェーラ家に代々仕えるメイドの一族、レディアント家の次女シトラスが駆け寄る。
「ヴェルデ様は!ご無事なんですか!?」
焦った様子でリモーネに詰め寄る。
その事故を間近で見た、いや、本来被害者となるはずだったリモーネにさえ、その事の一部始終を話すことは出来なかった。
「そんな…ヴェルデ様…」
「…まだ死んだと決まった訳じゃないよ、シトラスちゃん。お姉ちゃんはきっと生きる、大丈夫だよ。」
そう信じないと自分の心が折れてしまう、そんなことではだめだ。
最愛の姉が大変な時に自分はただ泣いているだけ、それはリモーネには耐えられなかった。
その言葉を聞いたシトラスは俯き、出ないはずの涙を堪えて手術室の近くのベンチに座り込む。
最悪だ。
姉に続き自分の仕えるべき主人まで失おうとしているのだ。
「ただのポンコツメイドにどうしろって言うんですか…うぅ…せめてお姉様と同じお墓には入らないでくださいね…」
悲しげな嘆きは誰の耳にも入らずに寂しく消えていった。
しばらくして、施術を終えた医者が手術室から出てきた。
その姿を見つけた二人はすぐさま詰め寄り、無事かどうかを尋ねた。
「お姉ちゃんは!お姉ちゃんは大丈夫なの!?」
「ヴェルデ様は…助かるのですか…?」
二人の問いに少し悩んだ後に医者は静かに首を横に振った。
「!!」
それを見て何かを察したリモーネの脳内でなにかが弾けた感覚がした。
嘘であって欲しかった。
言い方はまだ優しいがこれではもう死んでいるようなものではないか。
最愛の姉が自分を庇って死んだ。
信じられない。
信じたくない。
立ち止まってはいられず、この場を走り去ってしまう。
「リモーネ様!お待ちください!話はまだ…いいえ、今は1人にさせます…それよりも先生、続きをお聞かせくださいますか?」
暗い表情の医師は静かに口を開いた。
内容は今の自分と同じように、キャストになる手術を受ければまだ助かる見込みがあるかもしれないということ。
仮に成功したとして再び今と同じように動くためには長い時間を要すること。
そしてそれに伴って、今現在彼女が有しているフォトンへの適性は消えてしまうということ。
それを聞いても迷うことなんてなかった。自分の大切な人がどんな形であろうと生き残れる、シトラスにとってはそれだけで十分だった。
「…分かりました、手術の方、お願いします……また後日伺います…ヴェルデ様のこと、よろしくお願いします…」
そう言って部屋を出て、急いで屋敷に戻り、リモーネを探す。
自室、ヴェルデの部屋、バスルーム、食堂、応接間、どこにもいない、いるのは常勤のメイド数人のみ。
「どこに行ったのでしょう、リモーネ様…」
そう呟き、メイド共有の車に乗り込み、リモーネの携帯端末の位置情報を特定し、急いで向かう。この位置ならばさほど時間はかからないだろう。
走って、走って、やがて辿り着いたのは事故の起きたあの道路だった。
現場に残された大量の血痕と無残に大破した車が事故の凄惨な光景を思い浮かばせる。
「お姉ちゃん…やだよ…お別れなんて…」
泣きじゃくるリモーネの前に1台の高級車が止まった。
ライトグリーンの車体に白と黒のフリルのドレスステッカーの貼られたプリマヴェーラ家のメイド用のフルカスタム機。
「…シトラスちゃん……」
「…ここにいたのですね…お辛いことでしょうが、とりあえず乗ってください、今日のところは帰りましょう。手続きなど、やることはたくさんあるのですから…」
「なんで!なんでそんな冷静でいられるの!
シトラスちゃんはお姉ちゃんが死んじゃって悲しくないの!?こんな時なのに仕事に手続き!?
そんなことしてる場合じゃないの!」
「それはあなたもですよ!主人が亡くなって私が悲しまないと本気で思ってるんですか!?
私だって悲しいに決まってますよ!こっちは大切な人をこれで2人も死なせてしまうかもしれないんです!それでもまだ道があるなら進むしかないでしょう!」
シトラスの普段聞かない大声に驚いたリモーネは大人しく後部座席に乗り込んだ。
「…そりゃあ…私だって悲しいですしやりきれないです…それでも私はちょっと偉いだけのただのメイドです、この立場である以上は仕事を全うしなきゃいけないのですよ…ですから…」
「もういいよ、分かってる。」
持ち前の笑顔がなくなったリモーネは静かに話し始めた。
「シトラスちゃん…私、決めた。
どんなことがあろうと関係ない、私はお姉ちゃんの…ううん、お姉様の仇をとる、お姉様をこんな目に合わせたやつに絶対に復讐して同じような目にあわせるんだ…お姉様がそれを望んでいなくても、これがただの自己満足になったって構わない、もうかわいこぶってるだけの私は終わり。」
この言葉が、リモーネの今もまだ密かに続けている復讐の始まりだった。
帰宅するなりリモーネは自分の部屋に閉じこもった。
扉を閉め、カーテンを閉め、真っ暗な部屋で端末を開く。
「お姉ちゃ…ううん、姉様の仇は絶対に私が…」
データベースを必死にあさり、使える情報を書き出し、保存する。
検証が必要になればプログラムをいじくりまわしてシミュレーターを構築する。
演算を走らせ、結果を叩きだし、検証する。
ただひたすらにこれを繰り返す。
並大抵で出来ることではなかった。彼女はあくまでもごく普通の年相応の女の子、だが執念だけは人一倍に強かった。
扉越しから声がかかる。
「リモーネ様、学園から電話がかかってきました、クラスの皆さんもリモーネ様を心配なさっているようなのですが…」
聞きなれたメイドの声、シトラスの声、いつもと変わらない事務的な声。
「ほっといて」
「…今なんと?」
「放っておいてって言ったの、今忙しいから後にして」
「仇討ちですか…?たしかにヴェルデ様のことは残念でした、ですが!」
「お姉様はそれを望まないとでも言いたいの!?たとえお姉様が望まなくても、私はこのままじゃ済ませたくない!」
「でもヴェルデ様は!」
「シトラス!」
とびきりの鋭い声で思わず叫んでしまった。
少しの静けさが過ぎたあと、走って行く足音とすすり泣く声が聞こえた。
その時リモーネは初めて自分のした事に気がついた。長年付き添ってくれたメイドであり、良き友人だったシトラスにきつくあたってしまった。
なんだかとても悲しい気持ちになり、後悔の念が押し寄せる。
「ごめんね…でも、私がやらなきゃ…」
そう呟き、ほんの少しだけ扉を開けてみる。
ドアの横には1枚の手紙が置かれていた。それを拾い上げ、乱雑に机に放り投げて再び端末に向き直る。
まだ、諦めたくない。
私は泣き出してしまった。
主人に伝えるべきことを伝えられぬまま、泣いてあの場を逃げ出してしまった。
「このダメイド…お給料泥棒…お姉様と違って普段から何も完璧じゃないんだからせめてこれくらいしっかりこなしなさい…」
泣きながらか細い声で自分に言い聞かせる。
涙は出ないが。
こんな悲しい気分になった時、彼女は決まって中庭の端に建てられた姉の墓に行く。
墓石を磨き、花を添え、語りかける。
「お姉ちゃん…私、間違ってるのかな…私もリモーネ様みたいにお姉ちゃんの仇を取りに行った方がよかったのかな、あの事件の犯人、ひどい目にあわせに行った方がよかったのかなぁ…」
続けてこう呟いた。
「ヴェルデ様は、まだそっちには行かないよ」
リモーネが姉の仇に犯人を探し始めてから数ヶ月が経過した、ヴェルデが退院を許された日の夕方。
「リモーネ様!病院に行ってまいります!よろしければご一緒に…」
そこまで言ってからシトラスはハッとして口を抑える。最近のリモーネは人が変わってしまったのだ。
部屋からは一歩も出なくなり、口数も少なくなり、最近では端末の人工知能プログラムと演算結果の印刷の音、「お姉様…」といううわ言のような声、それしか部屋から聞こえない。
一人で行こう…でもヴェルデ様が戻ってくるにしてもリモーネ様になんて説明しよう…あんな様子で実は生きてました、ってやることが一番いいことなのか…
苦悩に悶えながらも彼女は病院へ車を走らせる。
「ヴェルデ様…どうか…どうか私たちのこと、覚えていてください…」
病院へはそこまで時間がかからなかった。
面会受付を済ませ、急いでヴェルデの元へ向かう。病室の扉を開け、個室のベッドへ駆け寄る。
そこには機械の体となり、身体中をコードで繋がれ、横になっているヴェルデがいた。
「あ…シトラスちゃん…来てくれたんだ…」
「ヴェルデ様!今日退院と聞きました、いつ頃お帰りになるのでしょうか?」
「このメンテナンスが終わり次第、戻れるって…!私、色々あったけど、またみんなと暮らせるんだよね…!」
「ええ…!皆、あなたの帰りを待っているのです!ですから…」
「うん…!帰ろう…!」
キャストとなっても変わらぬ笑顔で答えた。
「姉様…姉様…」
リモーネは今日もまた、自室で演算と検証を繰り返し、犯人の行方を追っていた。
ふと、窓の外から屋敷の庭を見る。
そこにはいつもの車から降りるシトラスと1人のキャスト。
「来客とは珍しい」そう思った。
遠くでドアとチャイムの音が聞こえた。
「ただいま戻りましたー!」
シトラスの聞きなれた声と聞きなれない機械音声混じりの声。
二つの声は上の階へ、こちらの方向へ上がってくる。
「ここからはヴェルデ様にお任せします、リモーネ様はこの数ヶ月でひどく変わってしまわれた…どうか、リモーネ様を…」
「大丈夫だよ、シトラス、私に任せて…」
そう言うとリモーネの部屋のドアをゆっくりと開ける。
「出ていってくれ、今は忙しい」
「リモーネ…私…」
困惑するヴェルデに出ていくように促すが、
聞く耳も持たない。
数歩だけ、近づいていく。
「帰ってくれ、次こっちに来たらこれ、ぶつけるからな、」
手元に置いていた小型端末を手にして彼女は鋭く言い放った。
「……それは…?」
「私のお姉様をひどい目に合わせた犯人の手がかりだ。」
「復讐するの…?」
「…あぁ……そうでもしないと…」
「………ヴェルデはそんなこと思ってないよ…」
それを聞いたリモーネは端末を投げつけ、ヴェルデに掴みかかり、力の限り叫んだ。
「どうしてそんなの言いきれる!どうして分かったように言う!お姉様のことは私が1番よく知っていた!それなのにどうして言いきれる!そもそも誰だお前は!」
そこまで叫ばせるとヴェルデはリモーネの手を振りほどき、言い返した。
「私がヴェルデ・ディ・プリマヴェーラだからよ!リモーネ!話を聞いて!」
呆然として、立ち尽くすリモーネにこれまでの事を説明する、意識を失った後、キャスト化の手術を受けたこと、この体になってから元のフォトン適正は消失したこと、その他もこれまで起こったことから幼少期の思い出まで、自分が本物のヴェルデ・ディ・プリマヴェーラであることを証明するために全て話した。
「お姉様…お姉様…私は…私は……本当にごめんなさい…生きててよかった…お姉様………!」
「はい、リモーネ…私はここにいますよ…これまでもこれからもたった1人のあなたのお姉ちゃん…
だからもう泣き止んで、私はリモーネが望む限りずっと、隣にいるから…」
リモーネは泣きじゃくりヴェルデの胸に飛び込んで抱きつき、自らの決意を語った。
「おかえり…おかえりなさい!わたし…私を助けていただいた上でこんなことは言えませんが…
うぅ…わたし…私決めました、この命尽きるまで、お姉様の事をお守りいたします、私… 」
「リモーネ…強くなったね…まだ私ほどじゃないけど…」
そう言ってヴェルデは強く抱きしめ返した。
その時の真剣な表情はきっと忘れることはないだろう。
2年後、体は元通りヒューマンの時と同じくらいに動けるようになり、再びアークスの適合試験の合格を今度は2人揃って手に入れる。
「ほんとによかったの?」
「もちろんですよ、お姉様が行くのならば私もお姉様を守るため、お付き合い致します。」
「そのお姉様っていうの、もうそろそろやめてもいいんじゃないかな…」
そんなほのぼのとした会話をしながら偶然同じグループに入った同期のアークスに話しかける。
「私はヴェルデ。ヴェルデ・ディ・プリマヴェーラ。こっちは妹のリモーネ、あなたはだぁれ?」
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